2004-07-01から1ヶ月間の記事一覧

地平の舟  (①)

柔らかくて羽毛のみたいな春の日差しが差し込んだ五月のある日曜の午後だった。 僕は窓を開けて、ベットの上でディケンズの『クリスマス・キャロル』を読んでいた。主人公のスクルージが第二の幽霊のいる部屋のドアに手をかけた時だった。どこからか音が聞こ…

地平の舟  (②)

あの男が帰った後、僕は周りを見渡しながら部屋の隅々にさなえ の残していった痕跡を探していた。しかし何もなかった。探しているのは彼女の影の様なものだったのかもしれない。赤いベレー帽の奇妙な男。パチンコですった分を届ける。滝田さなえを知っている…

地平の舟  (③)

あれから二週間が過ぎてもあのベレー帽の男は現われなかった。試しに昨日パチンコを久しぶりにやり、案の定負けてしまったが、それでも金を届には来そうもなかった。とにかくあの男に会ってさなえの事を訊かなければならない。そして彼女に会って言う事が沢…

地平の舟  (④)

次の日、松田は二時ちょうどにやって来た。最初に来た時と同様に赤いベレー帽と赤いジャケットを着ていた。 「こんにちは。お邪魔します」彼は玄関で丁寧に頭を下げた。 「ねえ、松田さん、一つ訊きたいんだけど、どうしてそんな格好しているんですか?目立…

地平の舟  (⑤)

「静岡から帰った次の日です。彼女は朝体調が悪かったので会社を休みました。その日はわたくしは夜勤でしたので昼間一緒に病院に行きました。診断の結果は妊娠によるちょっとしたストレスと風邪でした。大したことはなく薬を貰って彼女は家に着くと休みまし…

地平の舟  (⑥)

そこに立ちすくんでいたのはさなえだった。 さなえの表情には何もなかった。どんな感情も見当たらなかった。僕の顔の一点を見下ろしながら僕の言葉を待っている様だった。煙草の火種が落ちて焦げ臭い匂いが鼻をついた。その時、さなえの背後に立っていたレナ…