2005-01-01から1年間の記事一覧

『返却は、あした、になっております。①』(携帯閲覧用)

時折僕はこんな風に考えている。 僕はこれまで退屈というものが好きだった。厳密に言えば、嫌いじゃなかった。東北の故郷の山合いの村に吹く退屈という名の風にはどこか温かみがあり、うっとりと僕を誘惑し、その中心に引きずり込まれてしまっても僕はそんな…

『返却は、あした、になっております。②』(携帯閲覧用)

八月の東京は体の芯まで僕をとことん苦しめた。暑さは暑さを超えて痛さに変質し、降り注ぐ陽光はずっしりと体全体に重くのしかかった。仕事の疲労が追い討ちをかけてダウンし、数日間会社を休んだ。やっと歩ける様になったのは既にお盆を過ぎた辺りで、僕は…

『返却は、あした、になっております。③』(携帯閲覧用)

「村岡さん、凄い変なお願いがあるの」と彼女は恐ろしく真剣な顔で言った。 九月も終わりに近づき、吹く風の後ろの方にはもう秋の穏やかさとその匂いががほんの少し混じり始めていた。 ある日曜、図書館の喫煙場所で煙草を吸っていると彼女がやって来て僕の…

『返却は、あした、になっております。④』(携帯閲覧用)

あの日以来、僕は桜丘図書館には行っていない。小説も書いていない。理由は分からないが好むと好まざるとに関わらずこの都会の退屈さに慣れすぎてしまったのかもしれない。いや、退屈さを感じる事さえいつしかなくなってしまっていたのだ。そして昔の故郷の…

『返却は、あした、になっております。』

時折僕はこんな風に考えている。 僕はこれまで退屈というものが好きだった。厳密に言えば、嫌いじゃなかった。東北の故郷の山合いの村に吹く退屈という名の風にはどこか温かみがあり、うっとりと僕を誘惑し、その中心に引きずり込まれてしまっても僕はそんな…

『性欲過多な女』

誰かが彼女をそう呼んだ。そしていつからか街の誰もがそう読んだ。彼女の本当の名前なんて誰も知らなかったし、実際にはどうでも良かったのだ。彼女は住宅街の真ん中の高い塀に囲まれた庭のある豪邸に住んでいた。悪趣味な洋館風の建物の至る所にはつたが張…

『森の声』

どれだけ長い間歩いたか分からない。 深い森には風はなく、ふくろう達が遠くで鳴いている。姿の見えない動物のせいで時折樹々がカサカサとすれる。落ち葉を踏みつける音がパリパリと断続的に聞こえる。うっそうとした緑は陽光を遮断し、辺りは幾分薄暗く、気…

『ミドリネコ』

まな板でなすびをシュコショコと切っている時に勝手口のドアを誰かが叩いた。 「こんばんは」とドアの隙間からミドリネコがにっこりと顔を出した。 僕は、やあ、と答えた。全くミドリネコの奴は夕食時に最近毎日訪れるのだ。 「今日の夕飯は麻婆なすですか?…

『誰かにとっての傘』

珍しく早い梅雨入りだった。 雨はこもった熱気を愛音の全身にべたりと張り付かせ、そのせいで彼女は幾分苛立っていた。実際に彼女を苛つかせたのは昨日の彼氏との些細な喧嘩だった。 彼は仕事で明日は会えないと言った。「プロジェクトの追い込みでね。」 彼…