『観覧車』

 夏草が陽光をたっぷりと吸い込み、風がカサカサと潮の音を運ぶ。耳を澄ます。カモメが中空で旋回する。
広大な芝生の斜面をどこかの子供達が転がっていく。空には千切れた雲の端切れが斑点の様に澄み切った空にぽっかりと浮かんでいる。


16年ぶりに再会した僕らは、海辺の公園の木製のテーブルを囲んでいた。
高校を卒業した歳に取り壊された僕らの高校の跡地に、平らでのっぺりとした海浜公園が出来ていた。

僕は卒業して東京へ行き、数年前に結婚して二人の子供がいる。ここから100KM程離れた都市へ行った男は結婚したばかりだった。この地で家業を継いだ男は「最近フラれたんだ」と笑いながら言った。北海道に住んでいる男は、一人息子が小学生に上がる年に10トントラックに轢かれて死んだんだ、と言った。「まるで蛙かなんかみたいだったんだ。ペシャンコでね」


離れた芝生の上で僕の幼い息子達は、紙飛行機を作ってあげると、交代で飛ばし合いながら、風に乗ったそれを追っかけていた。紙飛行機はひらひらと、幼い子供達の木の枝の様な4本の足はクルクルと、糸の様なか細い4本の腕は空に浮かぶ紙飛行機に向かってバタバタと目一杯に突き出していた。


僕らの目の前で巨大な観覧車がゆっくりと回る。空に浮かび、地に沈む。
僕らは会話に詰まるとそっと見上げて観覧車を見る。誰かの子供がどこかの親に手を振る。
客に恵まれないその観覧車の足元で、多分ここで生まれ育ったであろう、風で吹き飛んでしまいそうな痩せて年老いた男が料金を受け取る。下りてきた観覧車のドアを開けて、客に軽く会釈して「お疲れ様でした」と言う。これから上り始める観覧車のドアを閉め「いってらっしゃい」と言う。彼は毎日それを幾度となく繰り返す。しかし彼自身は観覧車に乗る事はない。


遊び疲れた息子達が駆け寄る。

「パパ。ぼくたちものりたいな」

僕らは無言のまま顔を見合わせて全員が立ち上がった。そして観覧車へ向かってゆっくりと歩き出した。

一人が立ち止まって言う。
「アイツは死ぬべきじゃなかったんだ」


潮風が頬を打ち、草を踏みつける柔らかな音が聞こえた。


観覧車がゆっくりと上昇すると、アイツを飲み込んだグレー色の海がひっそりと横たわっている。地平線は立ち込めた雲の塊のせいで滲んで薄ぼけている。遠くで巨大な鉄の塊が浮かんでいる。


僕らの16年の間、この観覧車はどれだけ回りつづけたのであろう。
どれだけの波が打ち寄せられ、どれだけの風が吹き、どれだけの鳥が羽ばたいたのだろう。

もう一度考える。
僕は、そして彼らは、それぞれこの16年間にどれだけ泣き、笑ったのだろうか。
どれだけのものを傷つけ、失い、損なったのだろうか。
どれだけの愛を受け、どれだけの愛に生きたのだろうかと。


僕らは空に浮かび、地に沈む。


地上に着くと僕は係員に一万円を差し出した。
「これで乗れる分だけ、乗らせて欲しいんだ」


観覧車は何度も回る。同じ場所を飛び立ち、同じ場所に降り立つ。


息子の一人が窓から放った紙飛行機は風に乗って真っ直ぐに海に向かって飛んで行った。


「わあ! すごいや」