『返却は、あした、になっております。④』(携帯閲覧用)

あの日以来、僕は桜丘図書館には行っていない。小説も書いていない。理由は分からないが好むと好まざるとに関わらずこの都会の退屈さに慣れすぎてしまったのかもしれない。いや、退屈さを感じる事さえいつしかなくなってしまっていたのだ。そして昔の故郷のあの退屈さと同じ様に、あの僕にとっての最後の小説もどこかに失くしてしまった。あの時僕がどんな事を書いたのかさえ必死に思い出そうとしても思い出せない。それはまるで薄い靄のかかった森の奥深くの洞窟の中に閉じ込められてしまったみたいだった。仮にも僕はもうあの退屈さには溶け込めないだろう。それが大人になったというのか、歳を取ったというのか、それとも変わってしまったのか、分からない。僕にはもう妻がいて、三歳の娘がいて、退屈さなんか入りこむ余地がないのだ。現実の足元に横たわる倒れた巨木や転がった巨岩を取り除く事に精一杯なのだ。
結婚して僕は二つ隣の街に引越し、家の近くには桜丘図書館よりも大きな図書館が建っていた。本の量も多く、特に子供向けの児童書が充実していてたので僕は娘を連れてよく利用していた。


ある日曜日に突然家の電話が鳴った。若い女性の声だった。どこか聞き覚えのある様な声でもあり、そうでない様にも思えた。
「桜丘図書館です。予約された本一冊が手違いでこちらの図書館に回ってきてしまっております。すみませんがこちらまで取りに来て頂けますでしょうか?」

僕は驚いて事情を訊いた。娘の為に予約していた童話の絵本がその女性の言うとおり近所の図書館でなく手違いで桜丘図書館に回されてしまったのだ。人気の絵本なのでそちらの図書館に回す時間はなく、次の人も待っているのでこちらまで取りに来て頂けないか? とその女性は本当に申し訳なさそうに何度も何度も自分達の非を詫びた。
「分かりました」と僕は答えた。


何年ぶりだろう。僕はあの図書館の前に立っていた。
桜丘図書館はあの時とどこも変わっていなかった。ただ年月の分だけコンクリート壁の色は褪せ、ひびが至る所に入っていた。利用者が減ったのか、休日にも関わらず館内は驚く程しんとしていた。図書館独特の、しん、ではなかった。読まれるを望んだ無数の本達の無言の涙の様だった。
僕はしばらく気の向くままに幾つかの本を手に取ったが、それはどうしてか僕に読んでいる事を望んでいる様には思えなかった。その時、突然、僕が不意に足を止めたのは新刊のコーナーのある一冊のハードカバーが目に入った時だった。
僕は緊張し、そして遥か昔若い僕を包んだあの退屈さがどこからか吹き荒れ、あの時間の中心へと、その深淵へと導いていった。喉が急に渇き、息を飲んでその場に数分の間木立の様に立ち尽くしていた。体のあちこちの神経が音を立てている気がし、全身は小刻みに震えていた。気持ちを落ちつかせようと僕は窓際の椅子に腰を下ろした。そしてゆっくりと深呼吸をし、その本のページをめくった。窓の外には地面から伸びたハナミズキが僕の目線の所までそびえ立ち、幾つもの鮮やかな色に染まった花達が僕に向かって微笑んでいる様に見えた。その時僕は自らの目に薄っすらと涙が滲んでいるのを感じた。どうして泣いているのかさえ分からなかった。泣くのなんて本当に久しぶりだった。
その瞬間だった。目の前には二四歳の僕がいた。椅子に座って黙って本を読みふけ、その先にはカウンターに座ってじっと同じ様に僕の書いた小説を読む白河さんがいた。時折、彼女は持っているペンを指の上でクルクル回しながら利用者数人に電話をして「……本の返却期日が遅れていますので、返却の方よろしくお願いします」と原稿を読み上げる様に言った。
あの時の僕はふと本から視線を上げ、そんな彼女にばつの悪そうな笑みを浮かべていた。彼女は受話器を持ちながらにっこりとあの時の僕に向って笑い、片目をつむった。


現実のカウンターには若くてショートカットの小柄な女性が座っていた。黒い縁の眼鏡はどこか彼女には不似合いで、眼鏡の方が断固として彼女にしがみついている気がした。
僕は黙って娘の為の本と一緒にその本を差し出すと眼鏡の子は抑揚なく言った。
「こちらの本は新刊となっておりますので、返却日は必ずお守りください」
「分かりました。」と僕は答えた。「大丈夫です。」
彼女は眼鏡の中から感じの良い笑みを浮かべた。
「ねえ」と僕は彼女に言った。「返却日の前日に電話してくれないかな?」
彼女は不思議そうに僕を見上げ、しばらくの間口をあんぐりと開けていた。「前日にですか?」
僕はかぶりを振り、微笑んで言った。
「冗談ですよ」


             あとがきとして

 
 私の姿勢としては基本的に物語に「あとがき」をつけるのはふさわしくないと思っております。これまでもそうでしたし、これからもそうでしょう。しかし、この短編集『雪原の灯り』の「返却は、あした、になっております」に関してだけはそれがどうしても必要かと思われます。いや、私はこのあとがきを書く為にこの物語を書いたのかもしれません。
 今から八年前に実際に東京のある図書館で働いていた時にある男性と出会いました。当時彼は確か二十代前半だったと思います。彼は借りた本を返却日をかなり過ぎても返さない図書館では有名な常習犯だったのです。何故か私がよく返却の催促の電話をしたのを覚えています。返却にやって来ると彼は毎回丁重に詫びをいれ、そこにはどこか憎めない姿がありました。どんなきっかけか覚えてません。それとも彼と私の好きな小説が似ていたからでしょう。私達は些細のない会話から始め、文学の事やら色んな話をしました。彼が趣味で小説を書いていると言ったのはそれからしばらくしてからでした。彼の話や価値観、ちょっとした物事に対する考察などに私は興味を持ったのかもしれません。彼の書いている物語を是非読んでみたいと思ったのです。
彼は書きためていた幾つかの小説の原稿を本の返却と一緒に図書館に持ってきて、私にそっと隠れて渡しました。読んでみると、文章か鋭く、情景描写も巧みで、何より淀みなく読者に読み通させてしまう筆力がありました。しかし私達は図書館以外で会うことはありませんでした。お互いは図書館の職員と利用者、読者と筆者の関係に過ぎませんでした。少なからずその時はそう思っておりました。
彼のある一つの小説の結末を読む筈だった日は、偶然にも私が三年勤めたその図書館を辞める日だったのです。しかし何故か当日彼は現れませんでした。結局、その小説の結末も分からぬまま、二度と彼とは会う事がなかったのです。

人生とは不思議なものです。私の方が本当に小説家になってしまったのですから。よってこの作品はある意味では当時の彼との共著かもしれません。違いますね。彼の作品といっても過言ではありません。彼はきっと許してくれると信じています。何より彼と出会わなかったらきっと私は小説家になっていなかったと思います。そして、この物語は全くの実話であり、同時に全くのフィクションでもあります。

彼は今でも返却に遅れて、どこかの図書館のカウンターにいる誰かに深々と頭を下げて「これから気をつけます」と言っている様な気がします。

最後に、

Mさん、お借りになった本の返却は、あした、までとなっております。
               
                 二〇〇五年九月 水木里枝 釧路にて